土湯温泉 (2004年11月29日撮影) DSC-T1
 土湯温泉は福島市を代表する温泉街のひとつで、国道115号を猪苗代方面へ進む途中の山中にあります。
温泉街をぐるりと囲むように荒川が流れていて独特の景観を生み出しています。
土湯温泉は裏磐梯・会津方面への入口に当たり、周辺には土湯峠、磐梯吾妻スカイラインなどの観光名所も数多くあり、観光拠点として大勢の観光客に利用されています。
土湯温泉の起源は聖徳太子のお告げによるものとされ、温泉街の中には聖徳太子堂という御堂があります。



国道115号から県道52号土湯温泉線へ入ります


温泉街へ向けて坂を下りていきます



上の画像の地点から見た土湯温泉


荒川が流れています


土湯温泉展望図

「土湯温泉開湯の由来」
 神代の時代までさかのぼり、大穴貴命(おおあなむちのみこと)が陸奥の国に下がる時、ここに温泉があると荒川のほとりに鉾で突いた。
 するとコンコンと湯が沸き、誰ともなしに”突き湯”と名が付けられ、それがやがて”土湯”と呼ばれるようになった。
 604年、推古天皇の御代に聖徳太子が仏法興隆のため、諸国六十余州に国府寺御造建の御本願をもって、東国に秦野川勝(はたのかわかつ)が遣わされた。
 しかし川勝は、半身不随の病におかされ、良医良薬の効なくして臥していたところ、聖徳太子が夢枕に現れ、「土湯という所に温泉あり、ここにて湯治せよ病癒ゆべし」とお告げがあったという。

土湯温泉街へ


観光案内所前


土湯温泉案内図
土湯温泉奥には仁田沼、男沼、女沼、思いの滝などのみずばしょう群生地があり、4月下旬に見ごろを迎えます。


観光案内所西側の滝の向こうには足湯があります


早乙女橋


早乙女橋から先の温泉街


奥土湯へは左へ


奥土湯方面 荒川上流側にある月の湯橋


さらに進んでいくと公衆浴場中の湯があります


奥土湯は橋を渡って1q先
聖徳太子堂・薬師こけし堂へは左側の階段を上ります。


荒川上流 奥土湯方面


聖徳太子堂・薬師こけし堂入口


集落の中を進みます


太子堂境内案内図


福島県緑の文化財指定の太子堂のシダレ桜


階段を上りきると聖徳太子堂へ

「聖徳太子堂の由来」
 この御堂の由来は、人皇第34代推古天皇12年の御代(西暦604年)に、聖徳皇太子が仏法興隆のため、諸国60余州に国府寺御造立の御本願をもって、近臣寺を諸国に派遣され、この東国には秦川勝に命じられ御自作の御尊像をお受けになって遣わされましたが、秦川勝大願成就半ばにして半身不随の病気にかかり苦しんでいる時に、この御尊像が夢枕に立たれて「信夫郡土湯という所に温泉あり、ここにて湯治せよ病癒ゆべし」とお告げになられたので、秦川勝はこの土地を尋ね、温泉を掘って入浴したところ名湯の効能は著しく、日を重ね月を経て病気も全快いたし、やがてこの地を出立されようとしたときに、霊夢ふたたび現れて「我はこの地に留まりて諸人の病悩苦難を救わん」と告げられましたので、ここに聖徳太子の御尊像をお祀りいたしたものと伝えられております。
 現在の御堂は享保11年8月(西暦1726年)の再建によるもので、安産、育児、学問、また諸職の守護神として尊崇され、毎年、旧正月21,22日の両日にわたって祭典(太子講)が厳修されております。

聖徳太子堂の内部の様子


太子堂の東側にある松根湯釜
太平洋戦争当時の窮状を今に伝える土湯温泉の平和の象徴でもあります。

「松根湯釜の由来」
太平洋戦争の末期(1945)燃料欠乏に対処する国策として、松の根を乾溜して原油を採取する施策を決定した当局は、町村長に対し「現下航空決戦緊急需要ニ対処スル為、操業日数月三十日を目処トシ全乾溜機能ヲ遺憾ナク発揮セシメ、生産倍加ニ格段ノ御指導相成度」と、供出目標の達成を厳しく督励した。
 この当時土湯村は、字坂ノ上八番地旧グラウンド跡地に松根油製造工場を築造し、二基の乾溜釜を操業して生産活動を続けていたが、原料の松根は、連日空襲下の銃後にあって村を守るのは主婦と老幼のみで、この労働力を動員して松の油掘りの過酷な作業に当らせたが昭和20年8月15日終戦となった。
 この釜は聖徳太子堂の梵鐘が金属回収令に基づいて供出させられ、昭和46年再鋳されるまでの間、村に平和の音を響かせて梵鐘の代用を勤めたもので、ここに歴史の証言として安置するものである。

聖徳太子堂の梵鐘
これが太平洋戦争時に供出させられ昭和46年に再鋳された梵鐘です。
左の階段を上ると薬師こけし堂へ行きます。


薬師こけし堂
堂の中にこけしが飾られており、薬師如来と木地業の始祖といわれる惟喬法親王が祀られています。

「薬師こけし堂の由来」
 当山の鎮守は聖徳太子におわしまし、推古朝の御宇近臣秦川勝に命じ太子堂を創建され給うと伝う。太子は深く仏法に帰依され普(あまね)く本邦に教法を広め給い、とりわけて薬師瑠璃光如来信仰の志篤く、法隆寺に薬師天尊を祀り給う。当山は太子垂迹(「すいじゃく」衆生を救うため、仏が生れ変って仮にこの世に出現すること。)の御本願を尋ねて顕現し奉り、温泉の功徳をもって病苦を除く衆生済度の御本尊におわしませば、土湯温泉発祚の縁の地湯元下ノ町に薬師堂を営みて鎮護ましませしに大正二年八月二十七日水魔の災厄によりて御堂流亡し、経堂に仮遷座奉りて今日に及ぶを、御堂を再建してここに奉祀す、ときに昭和四十九年十一月二十一日なり。
 また木地業の始祖を崇め奉る惟喬法親王をも併せ祀る。法親王は五十五代文徳天皇の第一皇子にして、所以あって皇儲を第四皇子惟仁天皇に譲り給い、仏門に帰依されて秦覚法親王とも尊称し奉る。近江国愛知郡小椋荘に籠居ましまし、木地業を草創し奉りて世に広め給うと伝う。「土湯こけし」の根元もまたこの流れをくみ、温泉の効験と共に育まれて今日の隆昌をみる。
 薬師瑠璃光如来は温泉守護の御本尊にして惟喬法親王は名湯なるこの地に栄えし木地業の始祖たり。ここに天地の渾然一体と雄和するをもって一堂に祀り、薬師こけし堂と尊称し奉る。

薬師こけし堂内部の様子


薬師こけし堂から見た福島市街方面の風景


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2005・12・3土湯バイパス全線開通!
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土湯峠紅葉風景
国道115号土湯道路
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